Zopfcode Essay

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「うっせぇわ」が放つメッセージを今改めて読み解く(感想記事)

※これはただの感想記事です

ネットを飛び出して全国を駆け巡った奇作と呼ぶべき Ado -「うっせぇわ」は、その露骨な言葉選びと常軌を逸した歌唱で話題を呼んだ。

なんか話題を呼んでるらしいぞくらいのテンションで私もその名を聞き、Spotify にあるということで聴いてみたのが3ヶ月前の2月初頭。

まずは先入観なしで聴くためにググらず数回流し、その後ツイートや感想の類を調べてみたところ、どうも大人にはうまく受け取られていない節があるなーという印象を抱いた。そこで、いい感じに話題として落ち着いてきたいま私も解釈をまとめてみる。

結論から言うと、トラックの質はそこそこながら、歌詞と歌唱が驚くべきレベルにあると感じた。

トラック

ボーカル以外のトラックについてはサブカル然としており特段の感想はない。言ってしまうとあまり質は良くない。展開は平凡で各パートにチープさが目立つ。マスタリングもそこそこ。同じシングルの B 面はスウィングジャズ風であるところにも「サブカル役満感」がある。いつかのボカロ曲を切り取って取り出したような印象だ。

自身のキャリアやその後のリリースを眺める限りは Ado 自身はトラックを作っていないようだ。後述するように歌唱力が異常なので、より良いプロデューサーや作曲家と出会うことでどうとでも伸びていくだろう。他のアーティストで例えるなら Georgia Anne Muldrow や FKA twigs の一連のリリースに感じる印象と近い。

歌詞

歌詞を全部読めば歌に込められたメッセージは明示的に読み取れるのだが、どうやら世の中の視点の大半はサビのみに向けられ、そして拒絶されるきらいがあるようだ。ここで、歌詞全体を振り返って事の顛末をしっかり確かめることにしよう。

冒頭の一節では、幼少から優良児として周囲に褒めそやされながら育ち、「気付いたら大人になっていた」ことが言葉のままに読める。自信とアイデンティティの屋台骨となっていたプライド…これを裏打ちするには「何か足りない」。そうこうしている間に目の前に現れた大人の社会。この大海原に放り投げられる直前になって、「遊び足りない」「困っちまう」「これは誰かのせい」とひどくうろたえ転嫁を試みる様子は、昨日まで学生だった若者の戸惑いが非常にダイレクトに描き出されている。

猶予もなく飛び込んだ大人の社会。最新の社会の動向は知ってて当たり前、酒宴でもてなすのも当たり前。なぜこんなに知らないことを咎められ、半人前として扱われるのか。自分は優等生のはずなのに。「十で神童 十五で才子 二十過ぎればただの人」。多くの人が通ってきたこの過程も、今をときめく彼女にはえぐみを伴ってのしかかる。

崩れそうな自尊心を、ストレスと引き換えにしてなんとか支える社会人の日々。結局それは、上司によって明示的にくじかれてしまう。積もり積もったストレスとプライドの強烈な反動が、露骨なサビとして顕現する。他人からすれば惨めなほどの煽り・嘲笑・こき下ろしも、崩れ去っていくアイデンティティの前には制御ができなくなってしまう。

プライドにすがりたい自分を表に出しつつも、それでいて自信の実体たりえるものもなく、「ナイフのような思考回路 持ち合わせる訳もなく」と弱々しく客観的に吐き出せるくらいには自身の矮小さも自覚している。この人格が Ado 自身のものと同一かは定かでないが、自分の人間性を各方向から見つめ、うまく歌詞としてまとめている点が高く評価できる。

歌唱

歌唱はこの曲の最も評価できるポイントだ。次々に繰り出されるゴリゴリの声色からは、怒り・嘲り・不安が入れ代わり立ち代わり、手にとるように伝わってくる。上述のような揺れ動く若い感情と強烈な言葉は、この歌唱なくして成り立たないだろう。また逆に、この声に当てるべき歌詞というのは、そこらのアーティストが書いた「凡庸な」歌詞では不十分であろう。

矮小な自分をかき消すために吐き出した侮蔑の言葉も今は虚しく響くかもしれないが、これすら克服していけるのではないかと期待させるエネルギーを確かに感じさせる。

まとめ

歌詞と歌唱が共鳴した一発が、世の未成年者たちの心を穿ったことは想像に難くない。これらは未熟な感受性でも受け取れるほどに露骨でありながら、高度にまとまっているからだ。

世の中で流行っている曲というのをこれほど強く受け止めることになるとは正直思っていなかった。ここから先どのようなキャリアを彼女が歩むかはわからないが、プロとして鮮烈なスタートを切ったばかりの今、その地盤を固めるようにさらなる高度なリリースが続くことを期待したい。

追伸: ところで、Reol ファンであるところの自分からするとギガ P とのコラボに超期待していたところであったが(うっせぇわのギガP remix は当時から出ていたし)、先日そのものズバリな Ado -「踊」がリリースされた。ジャケがいいすね。

open.spotify.com

追記: 子を持つ親の拒絶感について

「子供が真似するからやめてほしいと思った」という感想を頂いた。ネットでも似た意見は非常によく見かける。確かに、もし自分に子供がいて意味もわからず真似していたとしたら「みだりに真似するな」とか「意味を考えなさい」とか叱っていたかもしれない。今回この記事では、そういった個々人による楽曲の受け取られ方は評価に盛り込んでいない。

というのも、そういう問題はこの曲に限らず常に発生しており、コンテンツ側ではなく教育側が解決するべきだと考えているからだ。

例えば、成人向け雑誌(エロ本)は現実と虚構が区別できる成人のために存在しているコンテンツであり、子供が手を付けるのは薦められたことではない。しかし成人が読む分には性欲の発散のために大いに機能しているし、成人がそれを読むことは全く咎められない。このように、コンテンツ自体が悪いのではなく、消費のされ方に問題があるケースは多い。

このような個人的な考え方により、楽曲の評価に消費者の反応は含めず、私が楽曲を聴いて得たことのみを記述した。