Zopfcode Essay

140文字で収まらない走り書きの置き場

オープンなライセンスに関するスイッチサイエンス金本氏の発言が持つ誤りについて

スイッチサイエンス社にはお世話になっているけれど、氏の一連の発言についてこの字面通りの理解が通ってしまってはまずいなと思ったので主な反論をまとめる。

引用:

何度も言ってますが、公表したハードウェア設計の利用方法をライセンスで制限するなんて事はできないはずです。ハードウェア設計は著作権法の保護対象ではないから。特許が含まれるなら、その部分は制限できる。

回路図の図面なら著作権で保護できる「かも」しれないけれど、それもだいぶ怪しい。

オープンな利用を許諾するライセンス一般について、著作者が著作権の上で利用の許諾を行うものであるという認識は正しい。

著作権法によれば、「著作物」は「創作的」な作品を指す*1。作品が「創作的」であるかどうかを「創作性」という。創作性の有無の線引きは訴訟の場と判例で判断されるものであり、事前に完全な定義が与えられるものではない。つまり、作品が著作物であるかどうかには一般に曖昧さが伴う。

「ハードウェア設計」という語が指す対象は不明であるが、実際のハードウェアは、部品、結線、PCB の回路形状、エンクロージャの意匠といった実に様々かつ潜在的な知的財産で構成される。

著作物の曖昧さと「ハードウェア設計」という語の曖昧さが残された中で、「公表したハードウェア設計の利用方法をライセンスで制限するなんて事はできないはずです。ハードウェア設計は著作権法の保護対象ではないから。」と言い切ることは、議論として前提とする対象の情報が不足しており、主張として不十分である。

引用:

なので、スイッチサイエンスが自社製品として開発設計製造販売している製品で、回路図を公表している物は、著作権!とかライセンス!とか言わないようにしています。もしかしたらCopyrightとか書いちゃってるファイルが有るかもだけど、気にしなくておーけーです。

著作権を含む各種知的財産によって暗示的に許可されうる作品を、明示的な許諾なく利用させるのは利用者にとってリスクがある。さらに、そのような許諾があるのなら、その作品の利用が明示的に許諾されたことがわかるように各作品に明記すべきであり、適用対象が不明確なこのポストには許諾の根拠として深刻な欠陥がある。特に、「Copyrightとか書いちゃってるファイルが有るかもだけど、気にしなくておーけーです」は、法人のコンプライアンス意識としてはとても擁護できない異様さを放っている。そのような極めて不明確な「許諾」による作品の利用はリスクまみれで実質的に不可能である。

スイッチサイエンス社として著作権侵害等の民事訴訟を起こすことが今後一切ないと保証されるのであればよいが、まずそのような保証はされないであろうから、それらの作品を利用したり改変したりする実質的なリスクが存在しないと判断することは難しい。例えばスイッチサイエンス社が公開している作品について、スイッチサイエンス社が見過ごすことが難しい程度に社のイメージを悪い方向に曲げるような改変がなされた場合、創作性の有無及び著作者人格権を争点に訴訟を起こすことも考えうる。

引用:

Arduinoとかの、ライセンスはCC-BY-SA(SAなので、同じライセンスでで公開しろ)だよと主張されてる設計から派生した設計については、元の作者の希望通りCC-BY-SAと表示しています。わざわざ作者と喧嘩したいわけではないので。平和主義です。

ライセンス遵守の姿勢は素晴らしい。しかしどのような考え方であれ、ライセンスの条文は字面通りに従うものであるから、「平和主義」であろうとなかろうと、適切なコンプライアンス意識の下ではこれが当たり前であることは明記しておきたい。

引用:

オープンソースハードウェアの趣旨にはとても賛同しますし、当社も可能な限り設計を公表したいと思っています。しかし、オープンソースハードウェア協会やその賛同者が言うように著作権を根拠にCC-BY-SAなどのライセンスを設定する=利用方法を制限する動きには反対の立場です。

引用:

オープンソースハードウェアの提唱者たちは、オープンソースソフトウェアの成功とその仕組を横目に見ながら考えたのでしょう。「自由という大義のために制限する」というのはGNU的ですよね。でも、ハードウェア設計の利用はそもそも自由なんです。

Creative Commons をはじめとするオープンなライセンスは、利用の許諾を「明示すること」と、その許諾の条文が「曖昧さなく記述されている」ことに存在意義がある。この2点は極めて重要で、前述したたくさんの曖昧さと暗示的な保護が渦巻くこの世界において、何をして良くて何をしたらいけないかを明確に定義して自由に動ける地盤を築くという効果がある。それらのライセンスの効果と準拠に必要なステップを「制限」という語で表現するのは現実に発生する効果に即しておらず、認識を歪曲させかねない。

ところで、CC0*2 や The Unlicense*3 等のパブリックドメイン相当の許諾や、各国法規において著作権の消失したと考えられる作品や、各種知的財産権で保護されることがないと明白な作品等でもないかぎり、利用について「制限」の存在しない作品はない。

「GNU的」という発言の意図は発言を読むだけでは不明である。

まず、GNU の言う「制限」とは作品の入手、改変、再頒布の一切を妨げることであり、「自由」とはそれらの制限を持たないことを指すから、「「自由という大義のために制限する」というのはGNU的」という発言は GNU の考え方を正しく表現したものではない。

GNU の思想に特筆される「コピーレフト」の概念を念頭に「ソースコードを公開しなくてはならないという制限」と言いたいのであれば単にコピーレフトでない別のライセンスを使えば良い。「同じライセンスを使わなくてはいけない」「追加の条項を加えてはいけない」等を指すならば、それは GNU に限った話ではない。「そもそもライセンスをあれこれ押し付けないといけない」と言いたいのであれば、オープンなライセンスがなぜ今日このような形をしているかの理解が不十分である。

なぜライセンスがあり、なぜ自由な利用のためにそれを付与するのか。それは、過去に生じた事件を繰り返さないためである。氏によって展開されている主張は、オープンなライセンスを使用せずに作品の利用を許諾する有意義な理由にはなりえない。

よく知られたオープンなライセンスで作品の利用を許諾していれば、自ら「使い方についてはご自身の責任でお願いします。」と付け加える必要はない。

これら一連の発言を社の見解とするのはス社にとっても他の利用者にとってもリスクであり、法務による解釈および整理、公式サイトにおける見解の掲載、各作品の明示的な許可をもって対応すべきであろう。繰り返し書いておくと、もし社の作品の利用を自由に許諾したいのであれば、その許諾を独自の表現(条文)で記述したり明確な範囲の指定なしに与えるのではなく、明確な範囲の指定と、よく法的に検証されたライセンスを用いて与えるべきである。

参考: qiita.com

ブコメレシーブ欄

著作権法で守られるか曖昧なら、著作権法の上に立つライセンスによって著作権表示とか派生物に対する縛りとかを付けることは訴訟リスクを盾に本来保障されない権利を求めることになるのでは。CC0ならいいけど。

その曖昧さを取り除くために、そして元の制作者と他の利用者の関係性をすっきりさせるために、ゼロかイチのどちらかに倒す必要があります。CC0 も実質的に権利の放棄を明記してるので最終的な結果は違いますが、適用する意図と過程は同じです。もしも著作権の保護範囲にあるのかないのかが争点の訴訟が起きて、ないと判断されればライセンスは無効になるでしょう。

「日本法においては」こうだと言われても利用者が日本在住とは限らないしな

そのとおりです。例えば US ではフェアユースの適用対象か否かが争点となる利用が多数あります。

いやそもそも本の話でもないのに著作物なの?

冒頭にある通り、一般の定義として、創作性がある作品であれば本以外にも著作権は発生します。私が指摘している発言の内容が曖昧であるが故に、この記事では一般に広げた議論をしています。

日本では「部品、結線、PCB の回路形状」は特別な場合を除いて知的財産権は発生しない。特別な場合=特許権など。「エンクロージャの意匠」は新規意匠に限り意匠権として登録すれば知財権が発生するが、未登録ではNG。

発明や意匠は挙がっている通りの仕組みで保護されるので、それらをの侵害を争点とした裁判はよくあります。なお「電気回路は著作権が発生しない」というような表現を私も聞いたことがあるのですが、そのあたりいい感じの判例が見つけられてないので誰かに教えてほしいです。ちなみに法律家の解釈については、参考にはなりますがあくまで判例とは異なります。

引用:

金本氏の発言の"誤り"が具体的に指摘できてない。 どの文書に著作権が生じうるか具体的な例を挙げて指摘した上で「発言の趣旨はわかるが、スイッチライセンス社は念の為ライセンス文書は書いてほしい」位のタイトルにした方が良かったのではないか。

具体的な例がない件はすみません。なお中盤あたりで書いている、「もしかしたらCopyrightとか書いちゃってるファイルが有るかもだけど、気にしなくておーけーです」はやり方として明確に誤っています。