Zopfcode Essay

140文字で収まらない走り書きの置き場

気付けば文章を書くことが仕事になっていた

初めて連載を持った。日経 Linux 2023年1月号を皮切りに、4〜5回ほどを予定して「組み込みLinuxの開発に挑戦!電子辞書でLinuxを動かそう」というタイトルで私の書いた文章が掲載される。

執筆が仕事になるとはついぞ思わなかった過去の自分に伝える気持ちで、ここに至った流れを記しておきたい。

書かされる文章

思い返せば、子どものころは文章を書くことに興味がなかった。自らの言葉を世に発信するという発想もなかった。当時書き残した文章を集めたとして、小学校で書かされた作文が99%を占めているだろう。

自分が公立小中学校で体験した範囲では、生徒に与えられる作文の機会は、美徳と理想に支配されていると感じた。教育を授ける側の苦労も今ならわかるので、頭ごなしに糾弾するわけではない。しかしながら、述べる対象が何であれ、善き生徒として持つべきメンタリティが、文章の中へにじみ出ることを求められている気がいつもしていた。教師の側からすれば「そんな事教えてないよ」と思う向きもあるだろうが、当時の自分が、そういう文章を書く方向に吸い寄せられていた実感は今でもたしかにある。

転機が訪れたのは中学校の時、本当に自由に文章を書かせてくれる先生と出会ったときだった。その時に得た体験と文体が今でも続いている。詳細は下記記事に記している。

essay.zopfco.de

書くべき文章

高専に進学すると、科学技術文書の書き方を教わった。正確さが第一に求められる技術的な文章において、感情的表現はノイズでしかないので排除する。文章を書いたら、自分を客観的に見て潜在的な決めつけや語弊がないかを疑う。先生からレポートを突き返される間にロジカルな推敲を身に着け、感情表現の「ボリューム」を調整できるようになった点で、自分には2番目の大きな転機だった。

仕事やインターンの人脈を手繰り寄せるために、自分の知見をコードや日本語で世に発信するという概念を仕入れたのもこの時期になる。いったい誰が読むんだろうと疑いつつも、はてなブログで初めての技術ブログを作成した*1。それが今日の Zopfcode である。このころの文体は不安定だったが、いま安定して文章が書けるのは当時の試行錯誤のおかげであると思う。やったぶんだけ感覚が養われ鍛えられるというのは、絵もコードも文章も同じだ。

書きたい文章

仕事を始めたころには自らの動機で日本語を書くことが普通になり、文体を客観的に見られるようにもなった。小学校のころは400字の原稿用紙を埋めることが苦痛だったのに、ふと気付けば、自分の好きな話題であれば何千字でも書き連ねるようにもなっていた。

2016年ころからは、たまに書いた記事が話題になっては感想をもらうようになった。文章そのものの読み味で感想をもらう事もあり、文章のスタイルにアイデンティティを持っていなかった自分としては、これはうれしくありつつも不思議だった。もともとプレゼンが趣味なので、プレゼン的に起承転結の流れを大まかに組んだり、感情を少しばかり入れてみたり、とかは無意識にやっていた。これが人から肯定的にとらえられたことで、ようやく自分の書く日本語には価値があるかもしれないと思えるようになった。

人に読まれる文章

2018年に技術評論社の WEB+DB PRESS Vol.104 へ寄稿し、人生で初めて、書いた文章でお金をもらった。技術者の「執筆」とはつまり、さながら技術者の代表として、世に知見を発信するという大きな意味を持つ。けっしてお遊びではすまない本気のアウトプットを持ちかけられることは、たいへんな喜びだったとともに、新たなステージを予感させた。初めての執筆は一番苦労した執筆でもあったが、編集部の赤入れを元にほぼ自分で推敲や文字数削減をするのが同誌のスタイルなので、非常によい訓練になったと思う*2。同誌では後に2021年の総集編[Vol.1~120]でも Python を解説する人として寄稿し、このころには書籍の文法やルールも体に馴染み、書籍として読むに耐える文章が自力で書けるようになっていた。

2020年は SHARP Brain に Linux を入れる記事が伸び、自分としては初めて、コミュニティ規模の共同開発を始めた。コミュニティとして持続させるためのアウトプットや環境整備がプレゼンスにつながったのか、今年2022年夏に日経BP社から依頼があり日経 Linux 2022年9月号にて電子辞書 Linux の記事を寄稿した。この記事が編集部から好評をいただき、かくして冒頭で紹介した連載へと至った。

連載第一回の執筆を始める前に、原稿からページ数を予測するツールを Python package にまとめ、file watcher と接続するなどの環境整備をした。自分にとって執筆はもはや散発的なサイドプロジェクトではなく、ライターとして行う一つの仕事になったからである。

自分が生み出せる文章

私はほとんど本を読まない。まれに本を買ったとしても、すぐ眠くなって読み続けられず、その大半を放棄してしまう。「本に触れた量と文章力は相関する」という言説を前にすれば落ちこぼれに過ぎない自分のような人間でも、不思議と執筆が仕事になる例もある…この事実は自信を持って伝えたい。

ところで、最近は日本語の作文が体の一部になってきたことで、小説でも文体や作者間の差が目で見えるようになってきた。日ごろ自分が生み出す日本語は事実をまっすぐ伝えるための道具だが、文字によって登場人物を動かし、記述とオノマトペによって情景を彩る小説というあり方も日本語としておもしろい。前述のように自分は書きに偏重しているので、まだ小説から吸い込んだ情報量は多くないが、ゆくゆくは物語調の文章も自在に書けるようになったらおもしろいなと思っている。

本業が執筆ではない限り、私が「ライター」を第一に名乗ることはないだろう。しかしながら、3回の単発寄稿と1年近い連載を持った今、間違いなくその方向へ一歩を踏み出したことはたしかだ。予想外に執筆が手に馴染んだ私が、今後どのような文章を書くのか自分自身でも期待したい。

*1:ちなみに中学生のころからブログそのものは持っていたが、ここは私と当時を知る人たちだけの思い出としてしまっておくことにしたい。

*2:自分を含む共著者3人全員にとって初めての執筆だったため多くの苦労を共有したが、この特集から単行本が生まれたりもしていて、各自のキャリアに今も大きな影響を与えている。